自然写真家 新井人の世界

徒然なるままに

めがね橋

2015年9月30日

あまり人口的構造物の撮影はしませんが、タイムラプス映像の撮影テストと思い、旧碓氷峠を走りレンガ造りの通称「めがね橋」と、星空を組み合わせて撮ってみました。なんでも重要文化財の近代化遺産第一号登録とのことですが、昼間とは違う異次元的な世界を垣間見ることができました。もし、この橋の上を鉄郎とメーテルが乗った「999号」が走ってくれたら、大きなニュースになったでしょうが・・・めがね橋

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ラムダのカメラザックを背負って撮影に挑んでいる方は実に多い。それはラムダに対する信頼の証であり、揺るぎないラムダの歴史でもあると思います。私は社長の佐久間博さんが創業した当時から、かなり我がままを言い愛用させていただいています。あえてラムダの欠点をあげれば、それは丈夫に(頑丈に)できていてなかなか壊れにくいことでしょうか⁉それから、今年は某所で転倒、滑落をしてしまいましたが、背負っていた槍ヶ岳が命を守ってくれました。ほんとうに頼りになる相棒です。なお、カラーは私オリジナルで市販のカラーではありません。

槍ヶ岳

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シグナス(白鳥座)は、ランクル乗りの羨望の的?高嶺の花?でした?この流れが現在のレクサスLX570でしょうか?それから2001年2月に「トヨタランドクルーザー50周年記念誌」(非売品?)が発行され、当時のランドクルーザー・シリーズ主査の某氏からサイン入りで頂戴しました。いずれにしても、ランクルは大飯喰らいが玉にきずですが、信頼性と耐久性を備えた掛替えのない相棒です。

それから昨日は中秋の名月でしたが、今日はスーパームーンとか、はたして十六夜の月が見えるでしょうか。

写真のシグナスは仕事で借用した際に、現在の高崎市(旧箕郷町)の白川沿いで撮影。番外シグナス

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ディーゼル車がなくなり初めてのガソリン車です。このランクルでは四国、九州は走っていませんが、それでも20万㎞になろうとしています。私は生涯にランクルを10台乗り継ごうと思っていますが、最近の走行距離を考えるとかなり微妙な状況になりつつあります。それにしても季節の移ろいは早くて、今日は虫たちが巣ごもりの支度を始める「蟄虫戸を閉ざす」ですが、すでに尾瀬では草紅葉が見頃となり、標高の高い草津白根山周辺の紅葉も日に鮮やかに彩られる季節となりました。いよいよ秋本番です。

撮影場所は隠岐汽船乗り場です。七代目200

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四万十川まで約1,200㎞の距離です。先人の知恵沈下橋が見事に調和をしていて、心和む光景が長旅の疲れをほぐしてくれます。また、沿線の栗焼酎「ダバダ火振り」も旅心を誘います。四万十川は清流には違いませんが、個人的には仁淀川の流れにはさらに清流を感じます。それから四国の川で忘れられないのが、坂東太郎(利根川)筑紫次郎(筑後川)のように渾名で呼ばれている、四国三郎こと吉野川です。それにしても、仁淀川の川原で飲んだダバダ火振りの味は忘れられません。

ちなみに26万㎞走りました。六代目100

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このランクル100のインテリアは80に比較すると、かなり見劣りがして不満でしたが、やはり20万㎞ほどは乗りました。写真は流氷を追って訪ねた根室半島納沙布岬ですが、期待はずれで流氷は彼方の水平線に見えただけで着岸してくれませんでした。毎年1月下旬から二週間道東を巡る旅にマンネリ感を感じた時期でもあり、その後、冬の北海道でも私の心はアカエゾマツなどの森に注がれていきました。そして今、訪れてみたいと念じているのは、落石岬に天水と海霧だけに命を育むと言われている、貴重な(不思議な)アカエゾマツの森です。五代目100

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ランクルの後ろに見えるのは、太宰治「津軽」の碑で「ここは本州の袋小路だ」と刻んであります。「津軽」は連日酒を飲みながら、金木町から小泊村まで乳母のタケさんを訪ねる旅日記のようです。この夜、地吹雪に揺れるホテルランクルで、中島みゆきの歌を聴きながら飲んだ焼酎も懐かしい思い出です。

ちなみに津軽にはこな雪、つぶ雪、わた雪、みず雪、かた雪、ざらめ雪、こおり雪と七つの雪があるそうです。(東奥年鑑)

それから、この80はバブル絶頂期の車でしたから、装備がテンコモリでした。そんなことから28万㎞走りました。四代目80

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三代目・80です。撮影場所は白神山地を横断する計画だった、あの有名な秋青林道ですが、この道路は自然保護活動のうねりで工事がストップされました。もちろん、白神山地が世界自然遺産に登録される前です。その後も津軽には数えきれない程行っていますが、なぜかこの地域は訪ねていません。したがって最近の情報は分かりませんが、新ルートで林道を計画中らしいと耳にしました。(本当でしょうか?・工事再開でしょうか?)

職業がら各地で「林道」を見て来ましたが、その多くが施錠されていて利用されなく荒れ放題です。これでは税金の無駄遣いと自然破壊としか映りませんでしたが、みなさんはいかが感じますか。三代目80

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相棒・ホテルランクル 2

二代目60です。このランクルで初めて津軽海峡を渡り、北海道の撮影を開始した思い出深い一台で、津軽海峡のフェリーから眺めた幻想的な「イカ釣り船の漁り火」の光景は忘れられません。それから、写真集「日本海」(ぎようせい刊・17,000円)の長く続いた撮影も、このランクルで随分と駆け巡りました。特に雪の鳥取砂丘の撮影は空振りが続き、五度目にしてやっと撮影できた喜びは今でも鮮明に記憶しています。

撮影場所は男鹿半島入道崎です。男鹿半島の描写は「尾瀬・至仏山殺人事件」(日本写真企画刊・1,300円)でも若干触れています。それから、このランクルまでは、物品税の関係でウインチが格安で装着できました。(消費税導入で廃止)二代目60

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1985年に初代ランクル60を購入してから30年間、現在の七代目200まで浮気をしないで、ひたすらランクルに乗り続けています。総走行距離は約140万㎞、地球と月とを二往復半に匹敵します。そんなことから、走る写真家などと友人から揶揄され、時には酒の肴にされて来ましたが、移動の手段として、宿として、酒場として撮影を支え続けてくれた、力強い相棒には間違いありません。

まず初代60ですが、1985年5月に時事通信社から写真集「尾瀬」(3,800円)を、初版6,000部で発行するや一週間も経たないで増刷がかかり、結局8刷まで版を重ねる大ヒットとなりました。そんなことから、この初代ランクルは写真家として歩き出す基礎を築いた時期の相棒です。

撮影場所は十和田湖畔民宿「しもむら」の前です。この民宿は「蒼い靄の中で・尾瀬沼殺人事件」(日本写真企画刊・1,300円)に登場している、十和田、八甲田周辺の撮影の常宿でした。

初代60
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