ラムダのカメラザックを背負って撮影に挑んでいる方は実に多い。それはラムダに対する信頼の証であり、揺るぎないラムダの歴史でもあると思います。私は社長の佐久間博さんが創業した当時から、かなり我がままを言い愛用させていただいています。あえてラムダの欠点をあげれば、それは丈夫に(頑丈に)できていてなかなか壊れにくいことでしょうか⁉それから、今年は某所で転倒、滑落をしてしまいましたが、背負っていた槍ヶ岳が命を守ってくれました。ほんとうに頼りになる相棒です。なお、カラーは私オリジナルで市販のカラーではありません。
徒然なるままに
相棒・カメラザック槍ヶ岳
番外 ランドクルーザー・シグナス
相棒・ホテルランクル 7
相棒・ホテルランクル 6
相棒・ホテルランクル 5
相棒・ホテルランクル 4
相棒・ホテルランクル 3
相棒・ホテルランクル 2
相棒・ホテルランクル 2
二代目60です。このランクルで初めて津軽海峡を渡り、北海道の撮影を開始した思い出深い一台で、津軽海峡のフェリーから眺めた幻想的な「イカ釣り船の漁り火」の光景は忘れられません。それから、写真集「日本海」(ぎようせい刊・17,000円)の長く続いた撮影も、このランクルで随分と駆け巡りました。特に雪の鳥取砂丘の撮影は空振りが続き、五度目にしてやっと撮影できた喜びは今でも鮮明に記憶しています。
撮影場所は男鹿半島入道崎です。男鹿半島の描写は「尾瀬・至仏山殺人事件」(日本写真企画刊・1,300円)でも若干触れています。それから、このランクルまでは、物品税の関係でウインチが格安で装着できました。(消費税導入で廃止)
相棒・ホテルランクル 1
1985年に初代ランクル60を購入してから30年間、現在の七代目200まで浮気をしないで、ひたすらランクルに乗り続けています。総走行距離は約140万㎞、地球と月とを二往復半に匹敵します。そんなことから、走る写真家などと友人から揶揄され、時には酒の肴にされて来ましたが、移動の手段として、宿として、酒場として撮影を支え続けてくれた、力強い相棒には間違いありません。
まず初代60ですが、1985年5月に時事通信社から写真集「尾瀬」(3,800円)を、初版6,000部で発行するや一週間も経たないで増刷がかかり、結局8刷まで版を重ねる大ヒットとなりました。そんなことから、この初代ランクルは写真家として歩き出す基礎を築いた時期の相棒です。
撮影場所は十和田湖畔民宿「しもむら」の前です。この民宿は「蒼い靄の中で・尾瀬沼殺人事件」(日本写真企画刊・1,300円)に登場している、十和田、八甲田周辺の撮影の常宿でした。










